朝もやにけむる『日向新しき村』全景
理想郷『日向新しき村』を臨む

 

大正7年、木城町を訪れた武者小路実篤は、石河内地 区に『新しき村』をつくります。そこは人家もまばらな山里で、わずかな耕地を除けばほとんどが山林と原野。

武者小路実篤

当初は子どもを含めた18人の青年男女が東京から移り住み、多いときには50人が暮らしたといわれます。新しき村は、人間が人間らしく生きるため、身分や階級を超えたユートピアを実現しようとつくられました。

  「山と山とが讃嘆しあうように
  星と星とが讃嘆しあうように
  人間と人間とが讃嘆しあいたいものだ 」

・・・と、実篤が歌っているように、それが新しき村の理想です。村では農業を中心に共同生活を行い、労働の後はクラシック音楽を聴いたり、テニスをしたり。文学や美術、演劇などの芸術活動を楽しみ、電灯をともし印刷所を設け、また盆踊り大会や仮装行列などの記念日もつくって石河内の人々とも交流しました。
その後、実篤は村を離れ、昭和13年には小丸川のダム建設のため大半の村人は埼玉県の「第二の新しき村」へと移住することになります。『日向新しき村』は実篤の前夫人房子らによって守られ、その精神は今日に至るまで受け継がれています。 ⇒日向新しき村の石碑


 


 

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